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九州中日友好大会における律桂軍総領事の記念演説 ——「希望の光がいつまでも中日平和友好協力の道を照らすように」
2022-01-27 11:07

  尊敬するご来賓の皆さま、友人の皆さま

  歴史は長いですが、肝心なところは数歩しかないです。国交正常化50周年が訪れて、中日関係はまた大事な節目を迎えました。新年早々、両国の有識者、九州各県の日中友好協会が一堂に会し、新しい時代にふさわしい中日関係をどう築くかを検討するのは、皆さまの使命感と未来志向の現れです。ここで、在福岡中国総領事館を代表し、謹んで唐家璇会長、孔鉉佑大使、服部知事からの祝辞に心から感謝し、程永華副会長、永田(ながた)理事長代理を、また遠くからお越し下さった鹿児島県日中友好協会会長の海江田(かいえだ)先生およびご来賓の皆さまを熱く歓迎いたします。

  50年は短く、白駒(はっく)の隙(げき)を過(す)ぐるが如し〈注〉ですが、ご在席の多くの方がその過程を見届け、参加されました。50年は長くもあり、数世代の努力と堅持を経て、無数の感動と貴重な記憶を残し、豊かな成果を収め、長足の進歩をとげました。

  50年間に中日関係の政治的基礎が築かれました。1972年の実りの秋に、田中角栄首相が歴史的な中国訪問を行い、両国の指導者が大所高所に立って戦略的決断を行い、共同声明に署名し、国交正常化を宣言しました。中日共同声明など四つの政治文書と4項目の原則的共通認識は平和・友好・協力という両国関係の大方向を明確にし、相互内政不干渉の原則を定めて、歴史、台湾、海洋関連など重大で敏感な問題の処理のルールを定めました。

  50年間に中日協力が大きく進みました。中国が15年連続で日本の最大の貿易相手となりました。日本の貿易に占める対中輸出入の割合が共に20%を超えました。2021年、両国間の貿易額が3714億㌦に増えて再び新記録となり、日本の第二から第四の貿易相手の対日貿易の総額を超える見込みです。5万4千社余りの日本企業が中国に投資して事業を行い、毎年の売上高が5000億㌦にも達しています。両国はまた250組余りの友好省県や友好都市関係を結び、人的往来は感染症前に1200万人まで増え、中国大陸住民の訪日者数は1000万に近づき、訪日外国人総数の30%と消費の40%以上を占めました。

  日本は中国への公的資金協力の最も多い国です。1979年からおよそ40年間、日本は中国に円借款を中心に、無償援助や技術協力を含む、総額約3兆6000億円の政府開発援助(ODA)を提供して、中国の空港、港湾、鉄道などのインフラおよび環境、医療、教育などの社会分野に幅広く利用され、改革開放と現代化建設で積極的な役割を果たしており、私達はこれに感謝しています。

  皆さま

  戦後の中日関係の再構築と発展は、両国の指導者と官民各界のたゆまぬ努力のたまものです。

  中国共産党と指導者は早くも延安時代に、広範な日本人民と少数の軍国主義分子を区別しなければならないと強調しました。戦後、中国共産党はつねにこの区別政策と中日友好政策を堅持しました。おおぜいの日本人捕虜が人道的扱いと教育を受けて、故郷に帰りました。中日両国人民の友好のために、中国は日本に対する戦争賠償放棄を決定しました。中国人民は百万の在留日本人を助けて、葫芦島大送還が無事実現しました。数千人の日本人残留孤児を扶養し成人させました。今年の正月、「中国帰国者九州連合会」事務局長で、86歳の川添緋砂子(かわぞえひさこ)さんは年賀状で、「私は中国残留日本人孤児です。中国人民に救われ育てられた恩は一生忘れられません。両国人民が子々孫々友好を続け、二度と戦争をしないよう望みます」と述べています。

  1949年に新中国が成立すると、日本各界の有識者は民間が先行し、民で官を促し、日中友好運動を起こしました。内山書店店主で、魯迅の友人・内山完造先生が呼びかけると皆が応え、おおぜいの人が集まり、1950年10月1日には日中友好協会が設立され、各界と共に国交正常化実現のために奔走し、「日中国交回復実現3千万人署名」活動を進め、全国的な日中国交樹立の雰囲気を盛り上げました。国交正常化以降、各界の友好人士は風雨をおそれず、毅然として前進し、両国関係が順調な時は官民が並んで進み、困難な時は民で官を促し、歴史を直視し反省して、平和友好を固く守るため、実務的交流協力と両国関係の健全な発展を図るために心血を注ぎ、不滅の歴史的貢献をしました。

  九州の日中友好運動は全国各地の先頭に立っています。この50年間、九州の友好人士は中国侵略の歴史の真相を伝え、日中の平和を唱え、希望小学校を寄贈し、南京の城壁を修復し、はるばる中国の砂漠に出かけて植林をし、青少年と文化の交流を繰り広げました。新型コロナ感染が流行すると、中国に積極的に支援の手を差し伸べ、率先して九州から「山川異域、風月同天」〈中国と日本には同じ山川はない。しかしながら風も月も同じものだの意〉の声を響かせました。

  福岡出身の日中友好協会初代会長の松本治一郎先生は、中日友好事業の井戸を掘った方で、「戦争の反省、日中の不戦、アジアの平和」という松本精神を残しました。松本英一、松本龍両先生は福岡日中友好協会の第二代、三代会長を務めました。2013年に中日関係が最も困難な時、松本龍会長は決然と九州中日友好交流大会を呼びかけ5年続けて開催、4年連続代表団を率いて訪中し、対中関係の改善を図りました。松本家の3世代はリレーによって奮闘し、生涯を中日友好事業に捧げました。

  福岡県田主丸町の日中友好協会は1992年から2019年までの27年間、24回の代表団、413人を内蒙古クブチ砂漠に派遣し、1万7921本を植林しました。内蒙古の植林に20回参加した、今年72歳の宮崎吉裕(みやざき よしひろ)会長はこう話しています。もともと裕福ではありませんが、これまでの旅費などは500万円を超えています。しかし砂漠の緑化と日中の友情が得られたことは、中国のためになり、日本のためにもなります。

  国交正常化50周年に当たって、私達は多くの友好団体と数知れぬ有識者が中日友好のために大きな努力を払い、貢献されたことに感謝しており、最高の敬意を表したいと思います。私たちは松本先生ら古い友人を心からしのんでおり、その功績と精神は永遠に私達の心の中にあります。

  皆さま

  中日関係は新時代に入りましたが、新時代には新しい特徴、新しい要求があり、また新しい問題も提起しています。

  第一に、中華民族の偉大な復興のプロセスはもはや逆転できず、日本側は中国の戦略的位置付けをたえず調整する必要があります。

  新中国成立以降、中国は先進諸国が数百年かかった工業化の歩みをわずか数十年で終え、経済の高度成長と社会の長期安定の二大奇跡を生みました。その秘密は中国共産党の指導と中国の社会制度にあります。中国共産党の強固な指導の下、中国は昨年、建党百年に当たって、小康〈わりあいゆとりのある〉社会を予定通り全面完成させており、2035年には予定通り社会主義現代化を基本的に実現し、今世紀半ばに現代的社会主義強国を完成させます。

  では、中国の発展は日本にとってチャンスそれとも脅威なのでしょうか?中国は日本にとって、いったいライバルそれともパートナーなのでしょうか?

  歴史を見れば、中国の盛えた唐の時代に日本にもたらされたのは脅威ではなく、文明の進歩と社会の発展のチャンスでした。盛えた明の時代に鄭和は当時世界最強の船団を率いて七度西洋に下(くだ)り、28年がかりで1万里以上を航海し、アジアアフリカの30以上の国・地域を経て、平和、友情、互恵貿易をもたらしましたが、一寸の土地も占領しませんでした。

  中国の発展の道と対外戦略を見れば、中国は平和的発展の道を堅持し、人類運命共同体の構築を推進しており、協力を堅持し、対決はしていません。開放を堅持し、閉鎖はしていません。互恵・ウィンウィンを堅持し、ゼロサムゲームに反対しています。平等な付き合いを堅持し、強権・いじめに反対しています。中国は他人に従属せず、他人を略奪せず、永遠に覇権を求めません。中国人民は他国の人民を侮り、抑圧し、隷属させたことはなく、過去も現在も将来もありません。

  中日関係の実際の状況を見れば、両国経済は互いに依存しあい、中国は日本に拡大し続ける海外市場と日増しに重要になる協力のチャンスを与えています。中国は中日友好政策をとり、日本を友好的隣国、協力パートナーとみなし、長期的に安定した中日友好協力関係の発展に力を尽くしています。私達は日本側が中国側と同じ方向へ進み、中日国交正常化の初心と原点に立ち返り、イデオロギー、社会制度の違いを超え、地政学的競争思考から抜け出して、客観的理性的な中国認識を確立し、実務的でフレンドリーな対中政策をとり、中日が「お互いに協力のパートナーであり、お互いに脅威とならない」という政治的合意を堅持するよう希望しています。

  第二に、中米の応酬、駆け引きはすでに新しい段階に入っており、中国の隣国と米国の同盟国である日本は新しい戦略的英知を示して、これに対応する必要があります。

  中国人民は自らの勤労と英知によってよりよい生活と民族の復興を追求しています。しかし米国の一部の人は他国が米国との差を縮めることを許せません。新疆におけるジェノサイドなど天下の大ウソをでっち上げ、中国における民主主義・人権の抑圧など虚偽の口実を設けて、手段を選ばず中国をおとしめ・封じ込め・抑えつけています。中国の進路と制度を変え、中国の現代化のプロセスを阻もうと企てています。構造的苦境に陥り、下り坂をたどる覇権国家でありながら、米国の一部勢力はまだ外を刺激して内の病気を治す幻想を抱き、外敵を作ることによって苦境を脱し、中国を抑え込むことによって覇権を維持しようとしています。米国の覇道行為に対して、中国は断固反撃しています。

  昨年初め以降、中米の元首とハイレベルが何度も意思疎通を深め、習近平主席は相互尊重、平和共存、協力ウィンウィンという戦略的枠組みを明確に提起しました。中国側はさらに、越えてはならない一線をはっきりさせ、要求リストを出しました。米国側も、▽中国と相互尊重、平和共存を図り、コミュニケーションを強化し、意見の食い違いを管理したい▽中国の体制を変えることを追求せず、同盟関係の強化によって中国に反対することを追求しない▽中国と紛争を起こすつもりはない――と表明しました。中国は米国が両国首脳の合意を確実に実行に移し、中国と共に二つの大国の平和共存の道を探るよう希望しています。

  今後の中米の戦略的応酬、駆け引きと中米日の三国関係については、重視すべきいくつかの趨勢があります。第一は、中国は米国からの様々な挑戦、挑発に対応する自信と能力があり、中華民族復興のプロセスはすでに逆転できないこと、第二は、中国は米国に取って代わる考えはなく、ましてもう一つの米国になろうとは思わないが、中米の国力の差は引き続き縮まるだろうし、これも逆転できない大勢になっていること、第三は、毛沢東が1960年代初め、日本民族は偉大な民族であり、日本は必ず完全に独立するだろうと述べていること、です。

  中米の応酬、駆け引きの新たな情勢と中米日三国関係の大きな趨勢を前にして、日本はどう対応するのでしょうか?

  もちろん、中国側は日本に中米のどちらかに付くよう求めてはおらず、日米が正常な関係を発展させることにも異存ありません。私達は日本が日米同盟を守るに当たって、中日平和友好条約と中国に対する政治的約束を果たし、中米間で戦略的均衡を保ち、日米同盟の中で戦略的自主を保つようにし、また対中関係で賢明な選択をし、少なくとも対中、対米関係が並行して矛盾せず、互いに害しないようにし、米国の誤った対中政策と中日共同声明などの文書によってすでに解決された台湾問題により中日友好が壊されるのを回避するよう希望しています。

  第三に、中日両国、アジアおよび全世界の発展は新たな情勢に臨み、複数のレベルで中日交流協力に新たなチャンスをもたらしており、高いレベル、高い質の協力をどう進めるかは、双方が抱える新たな課題です。

  二国間レベルでは、中国の特色ある社会主義が新时代に入り、日本も新たな転換を求めており、両国とも重要な変化が生じています。北京冬のオリンピックが間もなく開幕し、簡素、安全、すばらしい五輪の祭典になるでしょう。双方が友好都市、友好協会、文化、スポーツ、青少年交流を大いに強化し、理解・信頼と友好を増進するよう期待いたします。中国はいま新たな発展理念を貫き、イノベーション、グリーン発展を一層重視しており、ハイテクとデジタル技術、新エネルギーと新エネルギー自動車などの分野ですでにかなりの強みがあります。日本は科学技術イノベーション大国で、省エネ・環境技術が進んでいます。両国は共にデジタル経済を重視し、カーボンニュートラルの目標を打ち出しています。双方は相互補完を図り、強強連合を進めることができます。

  地域レベルでは、今年元日に世界最大の自由貿易圏RCEPが正式に発効し、地域協力と地域統合が新たな高みへと進みました。中日は共に自由貿易と多国間主義を支持しており、双方はRCEPの範囲内で第三国協力とサプライチェーン協力を繰り広げ、中日韓自由貿易圏交渉を急ぎ、アジア太平洋自由貿易圏づくりを推進することができます。

  世界的レベルでは、感染症と気候変動への常態化した対応がすでに差し迫った課題になり、分離・デカップリング・冷戦の防止、人類運命共同体構築の推進が日増しに国際的コンセンサスになっています。中日はより大きい責任を負い、連携してより大きな貢献をすべきです。

  皆さま

  中日関係は得難いチャンスを迎え、挑戦と隠れた危険もあり、上昇・発展か停滞・後退かの岐路に立っています。この大事な時に、九州の民間友好団体と各界の有識者が平和友好への揺るぎない信念を持ち、民で官を促し、経済で政治を促し、九州から日本を後押しする伝統を発揚して、中国側と共に、習近平主席と岸田首相の電話会談の合意の精神に基づき、国交正常化50周年という重要なきっかけを逃さず、歴史を鑑に、未来を切り開き、新時代にふさわしい中日関係の構築に努められるよう、そして中日関係が次の50年に健全で安定した発展をとげ、中日両国人民が子々孫々友好を続け、希望の光がいつまでも中日平和友好協力の道を照らすようになることを期待しております。

  ご清聴ありがとうございました。


  〈注〉白い馬が走り過ぎるのを壁のすきまからちらっと見るように、月日の経過するのはまことに早いことをいう。《「荘子」知北遊から》

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